映画感想文

パリオペラ座のすべて』と『Dr.パルナサスの鏡』を観に行く。
朝から家を出るのがだるくてやっぱり家にひきこもっていようかと考えたけど、えいっと気持ちを奮い立たせて無理やりにでも出かけてよかった。
パリオペラ座のすべて』は金曜日がレディースデーということもあり、小さな劇場はほぼ女性のお客さんで満席だった。バレエが格式高いものではなく、皆に親しみやすいものになったんだなあとしみじみ感じる。お客さんの中にちらほらと、バレエやってるんだろうなと思われる人がいるのを見ると切ないような悔しいような気持ちになった。バレエをやめてから、おだんご頭の女の子を見かけるたびに悲しくなる。素直に、がんばれ!と思うことができない。
バレエをやめたのは中学2年のときなのに、いまだに過去にすがりついて離れられずにいる。やめたのも精神的につらいことがあったからだし、嫌なこともたくさんあったし、練習は厳しく苦しいことのほうが多いし、レッスンに行くのがどうしようもなく嫌な時もあったりしたのに、思い出されるのは踊っているときののびのびして楽しい感じだとか、衣装の匂いだとか、いろいろと親切にしてもらったりかわいがってもらったりした人のことばかり。
せめて大学に行くまで続けていればよかったなと思うこともしばしばあるが、バレエを続けることはものすごく制約があるので今より視野が狭かっただろう。
今ではバレエをしていたことがこれまでで一番の財産だと思える。バレエを好きな気持ちもむしろ強くなっている。これから一生外からながめているだけというのもいやだしそろそろ大人クラスとかでゆるくやってみようかなあ。またトゥーシューズを履いて踊れるようになりたいなあ、しかしレオタードは恥ずかしい…。
そして映画を観て通して思ったのは、バレリーナの肉体は美しいということ。男女問わず美しい。コンテンポラリーの衣装ではタイツも履かずレオタード1枚みたいなのがあって筋肉の動きがくっきりと見て取れて、そのダイナミックさと隅々まで神経を使った細やかな動きにうっとりした。
印象的だったのは、オペラ座の芸術監督が「今の若い子たちは吸収する力があるのに怖がってそれをしようとしない」と、コンテンポラリーのレッスンを受けない若いダンサーたちに向けて言った言葉。踊りだけではなく、どんなことにもあてはまるだろう。新しい環境に慣れるのは私がもっとも苦手とすることの一つだが、「吸収する力があるんだよ」と言われるとなんでもやってみようかしらと思える。
コンテンポラリーの指導を見ると、これは踊りなんだけど演劇により近いと思った。古典のように決まった型がなく、その人物の気持ちをそれに直結した動きと音楽で表現している。私はどうしても古典のほうが好きだけれど、コンテンポラリーも生で観てみたくなった。

Dr.パルナサスの鏡』は内容が不思議すぎてよく理解できず。解説なんてあったらつまらないと分かっているけど、ここはこういうことだった?というのを誰かと話し合いたい。
映画を観ている間じゅう夢をみているような感じがした。夢の不可解さはことばでも絵でも正確に表現したり誰かに伝えたりするのはむずかしいと思うのだが、見事にその意味の分からない展開の速さとちょっと恐ろしいような奇妙な感じが表現されている。
この物語は「想像すること」とか「人の頭の中」とかものすごく大きなテーマに取り組んでいて、見終わるとその全貌が少し分かったような気になる。この世の現実味がほんの少しだけ薄れたように感じる。空想の世界を身近に感じたり、ふとした瞬間にそういう世界とつながっちゃうんじゃないかと思わされたりする。こういうことって、現実世界を生きやすくするために大事なことだろう。
そしてこの映画の間違いない見所は、リリー・コールのお人形みたいな美少女っぷりだろう。とにかく顔が小さくて、目が大きくて、くちびるがきゅっと小さくて、スタイルがいい。でもちょっと童顔だったり赤毛だったりするところがあるからますます好きだ。
最初彼女を雑誌でモデルとして見たときは全く好きじゃなかったけれど、この映画に出てきた瞬間、だれだこのパーフェクトにかわいいひとは!と衝撃を受けた。すっかりとりこになってしまった。これからどんどん映画で活躍していってほしい。