悩みのはなし

私のなかにある悩みとは、ぼんやりしていて形がはっきりしないもの。とても感覚的で、上手く言葉にはあらわせない。誰かに話そうとしても、どうせ伝わらないだろうと思って、さわりだけしゃべってすぐにあきらめたりする。
だから自分のなかだけでどんどんふくらんでいく。


相談したいときというのは、だいたい、相手にこういうようなことを言ってほしいんだよね、という内容がほんとうは自分でも分かっている気がする。実際に他人にはっきりとそう言われるのと言われないのとでは違いが大きいから、きっとこういうことを言ってほしいし、自分でもそうだとなんとなく分かっているけど、最後の一押しがほしい感じ。自分の気持ちだけでは決めきれない弱さがあるから、人に頼ることになる。


私はだいぶ人の影響を受けやすいところがあるし、信頼している人の意見は特にうのみにしやすいけれど、結局決めるのは自分だなといつも思う。なにが正しいかも分からないし、決断して次に進んで行くのは決して楽なことではないけど、あのときこうしておけばよかった、と後悔することはあまりない。
それは、過去のことを悔やんでもどうしようもないでしょ、とドライにあきらめる気持ちと、そのときに自分が決めたことなんだからそのときは間違いなかったんだと過去に決断した自分を認めてあげる気持ちが、半分ずつぐらいで存在しているからだ。
だれかに最後の一押しをしてもらったとしても、それが自分以外の決断だとは思えない。
いくらアドバイスをもらってみたところで、そこに自分が入る余地がなくなってしまったら意味がない。


実家にいたころは、学校や予備校であったことをなにからなにまで母親に話していた。これは秘密にしとこうかな、と思うことがあってもなぜか結局言いたくなってほぼぜんぶ話してしまった。
特に迷うことが多かった受験の時期に母親とさんざんいろんな話をして思うのは、悩みでも相談事でもなんでも、ただ頭でもんもんと考えてしまうことを人に聞いてもらうことが助けになるんだな、ということ。
だれかに話して自分の考えていることを伝えるためにはぼんやり思っていることを明確に言葉にしようとしなくてはいけない。その作業が結果的に自分を助けることになる。というのは、自分が悩んでいることの核心に近づくことができるから。
だから日ごろ考えていることをはっきり言葉にしておきたいと思うし、感情とか思考を文章にして書き出せばすっきりする。ぴったりくる言葉を探すのが大変なんだけど。


私はたいてい相談したり話を聞いてもらう側の人間なのでその立場での勝手な解釈でしか書けないけど、相談される側のひとにしてみれば、話を聞かされてハイ終わり、というのはかなり迷惑な話だろうと思う。悩んでるひとって自分で悩みを大げさにして勝手に盛り上がってしまうところがあるから。