誰かとすごく深いところでしっかりした絆でつながっていて、何をするにも心強くて、安心して、リラックスできて、それでいて楽しくて、っていうなんだか温もりのある夢を見た。
不思議な安定感だったなあ。余分な力は抜けていて、それでいて心はちゃんと前を向いていて、迷いがなかった。疲れていたから、眠るのが気持ちよかっただけかな。笑
基本的には自分に足りないものは自分でしか満たせないし、人との繋がりで得られる安心感はプラスαであるべきだと思うけど、やっぱりその心強さがあるのっていいなあと思う。
家族はその極み。これは家庭によって全然違うと思うけど、それぞれのことをがんばるのは本人にしか出来ないけど、それをサポートしたり、どんなにダメになってしまった時でも一番最後の受け皿になってくれる。甘えじゃなくて、愛情。
そういうしっかりした繋がりを見据えたとき、結婚したり家族になったりするんだろう。でももしかしたらその繋がりは、じっくり時間をかけて後々見えてくることもあるのかも。むしろそっちのほうがよくあることなのかも。
なんでこんな感傷的な考えに浸っているのかわからないけど(笑)、めんどくさいこととかいろいろひっくるめても、いいとこ取りじゃなくて、全部のことにちゃんと向き合うのも悪くないかな、とちょっと思えた夢だった。

東京旅。

週末、めぐちゃんと二人で東京へ行く。
初夏ぐらいに突然決めて、安いツアーパックを探して予約して、ずっと温めていた計画だ。
旅行に行くのははほんとうに久しぶりで、友達同士で泊まりがけで旅行するのは初めてで、どんなふうになるだろうと思ったけれど、わくわくして、楽しみにしていた通り、楽しい旅行になった。
同じ場所で同じサイクルで生活していると、だんだん閉じ込められてそこから抜け出せないような気持ちになってくるが、駅に行って新幹線に乗って数時間もすれば、ずいぶん遠くに思える東京にもぽんと行けるんだ、と思って嬉しかった。したいと思ったことは決めて、行動に移しさえすれば、意外と簡単に出来てしまうものなのかも。いつだってそれにブレーキをかけたり、出来なくさせているのは、日常の忙しさや環境のせいではなく、行動を起こさない自分だ。
旅行に誘ってくれためぐちゃんに感謝。その他もろもろの手続きもしてくれて、私一人だったらのろのろしそうなところでもちゃきちゃき動くめぐちゃんに感謝!
いつもの低テンションでも許されるからか、めぐちゃんと旅行するのはとっても楽だった。変に遠慮とかしたりせず、やりたいこととやりたくないことがはっきりしているからかな。
初めて行ったディズニーシーも、ディズニーの非日常的な空間に触れたり、単純に乗り物が楽しかったりで充実していたし、ついにディズニーのキャラクターグッズを買ってしまったし(笑)、ホテルの部屋も清潔で広々していて気持ちよかったし、新宿に行ってみたらふらりと寄ったちっちゃいお店でものすごくおいしいハンバーグを食べられたし、世界堂の本店でポストカードも買えたし、おいしそうなお土産も買えたし、全体的にまとまった、良い旅だった。切実に、今度眠たくない時にまた世界堂に行きたい…!
こうしてたまに日常から抜け出してみるのもいいなあ。そういうことはちゃんとできると確認できたことがこの旅の大きな収穫でした。あと、友達と旅行するのは楽しい。
また新しいことをいろいろやってみたい。

ちょっとずつ変わっていくこと。

ポジティブさについてしみじみ考えているこのごろ、バイト先で新しいミッションに上手く対応できず落ちこんでいたら、社員さんに、「できない自分を責めちゃだめだ!がんばった自分を褒めるんだ!」と力強く言われて、はっとした。ポジティブな考え方をするって、こういうことだ。
そういった小さいことに気づきながら、少しずつ考え方がいい方向にシフトしていくといい。
ポジティブになりたいと思いながらも、ネガティブな方が、というか、なんとなく陰があるほうがかっこいいと思っちゃってるから、なかなか素直に受け入れられない。自己肯定力が低くて、自信がなくて、何事も気にしやすいっていうのももちろんある。でも陰のある感じにも憧れがあるのは、芸術に興味があるから仕方ないのかも。陰のないところからすばらしいアートは生まれないし、昔のえらい作家さんとか信じられないぐらい暗いし、暗すぎて自殺とかしちゃってるし。
でもよく考えたらその暗さと、ネガティブさはまた別物なのかもしれないな。
良くない方向にばかり考えてしまうのは、そんなことないよ、きっと大丈夫だよ、って言ってほしいから。自分じゃできないから、悩みを理解して、受け止めて、肯定してほしい。
だけどそれを自分でコントロールできるようになったらいいんだろうな。「暗く反省しても誰もついてこない」と龍先生も言っている。
人と比較したり、うらやましく思ったりするクセはなかなか抜けないけど、何が優れているとかじゃなく、どうしたらえらいとかではなくて、後悔しないように、やりたいことをするのが一番!というのは、ずっと心にとめておこうと思った。
今までどれだけ自分の考え方に固執して、無意識に他の考え方を寄せ付けていなかったかを実感する。こういうところが自己中なんだろうなあ笑 少しずつ変わっていくといい。

久しぶりに。

最近考えることがいっぱいで、とても整理しきれないのでブログ復活。

私の対人関係におけるメンタルの弱さは中学生ぐらいから変わってない。たぶん、もめるのがいやで傷つく経験をしてこなかったからだと思う。家族に甘やかされ、絶対的に守られてきたせいでもあると思う。
周りからしてみれば、「そんなの気にすることないのに。ほっとけばいいのに。」と思われるようなことを気にして落ち込む。人間関係で悩むことに慣れていないから、その落ち込みを覆い隠せる空元気を装う強さも持っていない。
あと、私はよく中立的な立場に立たされることが多いのだけれど、それって要するにただ八方美人なだけなんじゃないかと気づいた。誰からも嫌われたくないから、話をする人によってころころ態度や発言を変える。誰かと敵対するのがこわくて、自分の意見を貫き通せない。さらには周りの影響を受けやすいので他人の意見に染まりやすく、自分自身の考え方も変わりやすい。
だから周りに流されない人をみると、強いなと思う。たとえその意見に反対する人がいたとしても怖がらない。しかも強がって無理にそうしているのではなく、無意識にやっている。つまりそういう人たちは自分の行動が他人からどう思われようと関係ないんだな。私の根本的な問題はそこだ。他人からどう思われているかが常に気になる。これって昔からだったのかな。それとも何かきっかけがあったんだっけ。自分で自分に自信がもてないこととつながるんだろうか。うーーん。

それと最近気になるのは、他人への依存性。世界が広がって、気のあう人たちと出会うようになると、その人たちとの別れがつらくなる。これは完全に私のエゴだと思うけれど、すきな人たちに対して、絶対私の方が一緒にいて楽しいと思ったり、離れているのがさみしいと思ったりする分量が多いと考えてしまう。これってつまりは他人に依存してるってことで、あまりよろしくない。自分に足りないものを他人に求めているということだ。人はみんな孤独だから、自分に課せられた試練は独りで乗り越えるしかないし、自分に足りないものは自分で補うしかない。私の場合、自己愛を他人に求めているのかも。自分で認めてあげられないから、周りが私のことを考えてくれている分量でそれを補おうとしている。でもばななさんも言っているけど、依存するのって本当にかっこわるい。だからなるべくしたくないんだけど、気に入った人たちと出会う度、依存度が高まっていく気がする。依存するのと愛情深いのって、なんか紙一重な気がするなあ。

ダンスに関しても、大学生ライフに関しても、これが最後!っていうことばかりでひたすらさみしい。楽しむよりも先にかなしくて、こんなに悲しい思いをするなら楽しい思い出をつくることなんて何の意味もないよ、と思う。楽しい思い出はこれから生きていく上できっと、思い出して救われることがあって役に立つだろうけど、今はそれが過ぎ去っていくのがただかなしい。これも高校までこういう経験をしてこなかったせいで免疫がなくて戸惑う。
大学生活を通して、私の人生や考え方に大きな影響を与えた出会いがいくつかあったけれど、私にとってはその人たちの存在が一生消えないほど大きくても、相手にとって私は人生の通過点のひとつに過ぎず、忘れ去られていくものなのだと思うとまた悲しくなる。ここで別れたら(大げさだけど)もう会うこともないだろうし、ずっとそばで定期的に会ってしゃべったりするのと、遠く離れているのでは全然ちがう。
時間が過ぎて、物事が移り変わっていくのは当たり前なんだけれど、今は、過ぎ去っていくものたちがあまりにきらきらしているから、それらを失うのがとても惜しい。正確には失うわけではなく、日常的に見られなくなるだけなんだけど、考えれば考えるほどさみしいな。このことをふいに考え始めたときは、なんかもういろいろとやるせなくて泣いた。

この全体的にしんみりした気持ちをママに相談したら、精一杯今を楽しみなさいと言われたので、押し寄せてくる寂しさに負けずにそうしようと思う。
書いたらちょっとすっきりした。

少しずつ、、

マックではるぴょんと二時間以上しゃべりまくる。
でもなぜか結局恋愛トークはそんなに続かないのよね。
就活とか人間関係の問題とか、いつまででも話せるのに。
はるぴょんはネガティブな私をいつもほめてくれるので、ほんとうにありがたい。
人がきちんと言葉にして認めてくれる力は私にとってすごく大きい。


就活について考えるときに思うけど、これって大学生活の集大成だなあと感じる。
何事に関しても自分から動かなきゃならないし、誰もやれって命令してくれないし、全部自分で考えて選んで決めなきゃいけない。
自分で考えて決断するのってものすごくエネルギーのいることだ。
意見を持つのって意外に大変なのだ。
少なくとも私にとってはね。

無題

ここ最近、リンリンが終わってからずーっともやもやした不完全燃焼感が消えないので、数ヶ月ぶりに日記を書いてみるけどどうだろう。
学祭シーズンにあるまじき、このやる気のなさ。
なんでこんなに停滞してしまっているんだろう。
自分で自分のモチベーションを無理矢理上げようとしないと、重い腰があがらない。義務じゃないことはやりたくない。


ひたすら人がうらやましくなる時期が定期的にやってくるけど、今がまさにその時。
自分だけ上手くいってなくて、取り残されている感じ。
もっと貪欲になりたいのに。

うれしいこと

昨日はバイトからの学校からの安東レッスン。
レッスンの帰り道にしみじみといろんなお話をして、ここのところ思い悩んでいたことにちょっと蹴りがついた気がする。
自分の好きなところをもっと伸ばしていけばいいんだなー。あとは自信。
タイプが同じなので共感することが多い。
まだまだのびしろはいっぱいあるらしい。
冷静に話聞いてたけど、内面ではそりゃあもう心おどるよね。
この嬉しさをバネにまたがんばろ!